あの時、あの仕事を辞めてよかった転職の志望動機 私の履歴書

転職の志望動機を履歴書に書く前に。自分にできる仕事を見つめなおす。

英語もできない、バイトばかり、就職経験も無いのに、海外で働いていて生活している私の履歴書

 

現在、私は海外のとある国で、会社員として働きながら生活しています。この地で家族も持ち、家も購入しました。

 

といってもローンがあるので、これからの返済が大変ですが、海外で確固とした地盤をつくるため奮闘していきたいと思います。

 

この私の履歴書、あしあとをこのページで紹介し、海外で働きながら生活したい人のための参考になればうれしいです。

 

と生意気なことを言ってしまいましたが、私の職歴を履歴書に書けといわれると、とても自慢できるものではありません。

 

なんでも中途半端、やりきったことがない、つまり努力をして何も積み上げてこなかった私は運がよかったのでしょうか。

 

自分を見つめる意味でも、このページに私の履歴書を書いていきます。

 

思い返すと、職を転々と変えてきましたので、人事担当者から見ると、何を目的でその仕事を選んできたのかと思われても仕方がありません。

 

初めて給料を貰う仕事は、浪人時代にやり始めた、建設現場での職人の手元、補助をするアルバイトです。

 

そこから、いろんなアルバイト、仕事場を転々とする人生が始まりました。

 

学生時代は、いろんな職種のアルバイトを試してみました。

 

飲食店のウェイター、または調理師、引越業務、事務所移転、アンケートの検品作業、新築マンションを紹介するプラカードを持つバイト、酒屋のレジ、
ホテルの受付、測量士の補助などなど。

 

その当時は、手に職をつけようと思わず、興味本位でなんでもいいからやってみようという気持ちだったと思います。

 

バイトに明け暮れた結果、大学は当然単位が足りず、留年しても卒業する気概もなく中退。本当に中途半端な人間だったと思います。

 

 

大学中退後、海外とつながりがある自営業の仕事を始める。

大学中退後、先輩がやっていた、とあるスポーツの外国人選手の招聘の仕事を手伝い始めました。

 

この頃の仕事のきっかけから、海外にも視察に行くようになり、海外に興味を持ち始めたかもしれません。

 

この外国人を招聘するエージェントの仕事も2年くらいやったでしょうか。

 

ただし、好きな人がやっていくような、わずかな収入源でとどまっていましたし、次第に仕事を減らし、業界から抜け出すようにしてやめました。

 

実は、そのとき平行して知り合いと共同経営で飲食店を出店していました。

 

飲食関係は、学生のとき経験していましたし、まあ何とかなると思ったのが、失敗の原因です。

 

やはり、飲食店経営は長年の修行と経験がモノを言うと思います。というのは、中途半端な経験では、料理の引き出しがなく、お客様に飽きられてしまいます。

 

料理の確固とした木曽、基盤がないと行き詰ってしまいます。結局、収支が合わず、共同経営者とも喧嘩別れとなり廃業しました。

 

残ったのは、借金です。借金を返済するため掛け持ちバイトの時代を過ごします。

 

ただ、このバイトを始めるまで、決断に時間がかかったのを覚えています。それは何かというと、傍から見るとお遊びに近いにもかかわらず、自営業でやってきたというくだらないプライドが邪魔していました。

 

やはりくだらないプライドは、一円の得にもなりません。駄目だと思ったら、すぐ行動することが必要だと昔の自分に言いたいです。

自営業に失敗後、次は新聞配達、バイトの掛け持ちで借金返済

次の仕事の基盤としたのは、友人の紹介で、新聞の配達です。朝夕の一日、4時間働くだけで、会社が社会保険料も払ってくれますし、
社員食堂があり安い月額の食事代を払えば、朝夕食事にありつけます。

 

そうして空いた時間で他のバイトをして貯まったお金は借金返済にあてていきました。お金は使うこともなく、仕事は短時間で終わりますし、社会保険は完備してありますし、お金を貯めるのにはいい環境だったと思います。

 

借金返済に非常に助かったので、ありがたかった職場でした。借金返済が一段落落ち着いてくると、楽な仕事環境でしたが、このままでは、やっぱり、いやだと思うようになり、新聞配達の会社を退職しました。

 

次の目標、目的、計画もなく貸し机を借りました。そこから何か商売を始めようと計画無し借り始めたのです。海外に興味を持ってたので、海外の方とつながりができ始めていたので、何かそれに関係する商売ができないかと思い語学教室を始めました。

 

そこでホームページを作り、そのホームページを見たのでしょう。翻訳の仕事を依頼されました。

 

その後、何度か翻訳の依頼を受けて、翻訳エージェントの商売は少し続いたのですが、これも付け焼刃のノウハウでは、長続きしません。次第にお声がかからなくなってきました。

 

ようやくここで気づき始めたのは、何事も基礎が大事だということで、社会人の基礎を学ぶため就職活動を始めることを決意しました。

初めての就職活動。時すでに遅し。そんな経歴じゃ会社は雇ってくれないよ。

何社にも履歴書を送りますが、いい歳をこいて、正社員としての経歴が無い私は、ことごとく失敗していきます。

 

このとき私は30歳。その間、生活を稼ぐためアルバイトは続けます。事務所移転のバイト、インターネット開設の訪問営業、キャバクラのボーイまで。正社員を目指して、就職活動をしていた私は、まったく結果がでません。

 

社会人として何も積み上げてなかったので当然といえば当然の結果ですが、何も知識も持たず、方向性もわからないまま、就職活動を一人で行わず、誰かのアドバイスなりを素直に聞いていればよかったなあと、思います。

 

転職エージェントサービスというのがあるので、そんなサービスを当時、知っていればなあと思います。

 

就職活動で上手く成果があげられず、失意の中、地元の田舎に戻るか悩んでいましたが、ダメモトで海外勤務を特集していたウェブサイトにあった求人に応募しました。

 

海外で働くというのは、どんなものか経験したいと思っていました。そこで声がかかったのは、ドイツにある飲食店からです。

 

メールでやり取りした後、直接電話をして、何月の何日にドイツに来ないかということで、就職の話がきまってしまいました。

 

もう東京でにっちもさっちも行かないと諦めていた私には、新天地、海外での勤務に久々に胸が躍りました。

 

後先考えず、行動するのは、私の短所でもあり、長所でもあります。

正社員の経験なしフリーターが海外勤務開始。

ドイツの日本食レストランでは皿洗いから始め徐々に料理を覚え始めていきました。

 

ある時、そのレストランの社長との会話の中で言われた言葉ですが、今でも覚えています。なぜ飲食店を私が開業して失敗したのかという話題の中でこう言われました。

 

「まずは、足元を見なさい。自分に何ができるか把握して、次に計画して行動しないと」

 

その社長は、業績不振だったそのレストランの前社長に呼ばれて働いた後、そのレストランから経営権を買い取り、
その当時、そして今でも繁盛店のレストランを作り上げた人なので、いわゆる海外で働いている人で成功者になると思いますが、その人から言われた言葉には重みがありました。

仕事に対する姿勢。自分の足元をみつめること。

以前の私は、振り返ると自分には、見よう見真似で何でもできると勘違いしていました。結局そんな考えでは、身になりません。

 

仕事を選ぶ基準も時給が高いかどうか、楽かどうか。スキルも蓄積されませんし、人脈もできません。自分に何ができるか把握して、それをコツコツ実行していくことの積み重ねです。

 

今の私が思うに、社会人に求められること、企業に求められることは、何をやりたいかではなくて、何ができるか、何の特技、仕事、サービスを提供できるかだと思います。そのためには、近道など無く、コツコツ努力を積み上げていくしかないのだと思います。

 

ドイツの日本食レストランで、社長にそう言われてから、仕事に対する意識が変わったと思います。

 

自分の中でやりたいことを思っても、そのやりたことのゴール地点まで相当な距離があるのに、今すぐそのゴール地点に行けると思ってしまいがちですが、勿論そんなはずが無く、一歩一歩距離を縮めていく作業が必要になります。結局、ゴール地点までの距離が遠いとはなから諦めてしまうのが、以前の自分でした。

 

まずは、自分で自分のことを客観的に見つめることができるに越したことが無いですが、そんなことは難しいので、他人の客観的な意見が必要です。

 

次の仕事を探すことを考えている方は、まずは転職エージェントなど、自分のことを客観的に見てくれるサービスを利用したほうがいいのではないでしょうか。

 

自分とものは、案外、自分ではわからないものですよね。他人からの意見を参考にまずは自分の足元を見つめて見ましょう。

 

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